株式会社ペルシアジャパン

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ペルシャ絨毯の概要

ペルシャ絨毯の技術

ペルシャ絨毯の素材・羊毛(1)

ペルシャ絨毯は、古代オリエントの北方から中央アジアにかけての地域にその起源を持つとされますが、これは、羊の家畜化がおよそ8千年前にこのあたりで始まったとする説によっても支持されています。

羊の元祖ともいうべきユリアル(urial)種は、中央アジアの野生羊で、イランに多いしっぽの肥大したいわゆる脂尾羊や臀部に脂肪を貯えた羊は、すべてこのユリアルから進化したものといわれています。

原始的な羊

西アジアでは、古来より放牧によって羊を飼育してきました。水や緑草の限られた乾燥地帯では、羊は外的条件に対応して栄養分を体内に貯蔵する必要があり、そのために世界の他の地域とは異なったタイプの羊が今日まで残っているのです。

言いかえれば、これらは未改良の羊ということになるのですが、厳しい自然の中で育った原始的な羊は、毛足が長くて強く、敷物の材料としては最適なのです。

羊の種類

イランは西の山岳地帯と中央の砂漠、北のカスピ海沿岸と西南の平野部、といった具合に、地方ごとに気候・風土が大きな変化を見せ、それが羊の種類の上にも反映されています。例えばコーカサスからアゼルバイジャン州にかけてのマク種と呼ばれる羊の毛は、脂肪分の多いのが特徴。一方、東部のホラサニ種の羊毛はさらりとしていて、しかもこしが強いことで知られます。そのほか、イラン西部のケルマニー(これはケルマンでなくケルマンシャーの土着羊です)やクルディ(カラディ)などが、良質のカーペット・ウールを産する羊として知られています。

しかし、イラン産の羊毛の量は、今世紀始め以来次第に減少する傾向を示しています。農業や畜産業の低迷はイランに限ったことではありませんが、この国の牧羊業の衰退は、遊牧民の安定化政策と大いに関係があります。特に、遊牧民の存在をイランの近代化の障害と考えたパハレヴィ王朝(1925~1979)のレザー・シャー(在位1925~1941)の時代に、羊の数が激減しました。

ペルシャ絨毯各部名称


イスファハン産

ペルシャ絨毯の素材・羊毛(2)

ペルシャ絨毯のための織機には、水平式と垂直式の2つがあって、前者は組立て分解が容易なので遊牧民の間に流布しており、後者は村や町の定住民に用いられています。垂直式の方も、規模が大きく固定されている点を除けば、水平式に比べて特に複雑というわけでもなく、日曜大工の腕で作れる程度の構造です。

経糸と緯糸

けれども、この織機に経糸を張る仕事は、それほど簡単なものではありません。糸の太さにもよりますが、かなりの大きさの絨毯で、経糸に絹を用いる場合には、この作業だけで数日を要することもあります。もっとも、その後に続く織りの工程-経糸の上にも手で一つ一つノットを作ってゆく工程の長さに比べれば、数日単位の仕事など、ものの数ではないのです。

経糸を織機の上にぴんと張り終わると、いよいよ織工の登場です。まず最初に、普通の布を織るようなやり方で緯糸を経糸の間に通して、キリムと呼ばれる平織りの部分を作る。これは幅1~2cmから、時には10cm近いものもあり、この部分の大きさや色に各産地の特徴が表れています。

次に織工は図案を描いて彩色した方眼紙を目の前に置きます。この図案を見ながら、織機の上から吊したいくつもの毛糸玉の中から必要な色の糸を取り、それを経糸に絡ませてノットを作ると、ナイフで手ばやくを切ってパイルにします。

ノットの種類

ペルシャ絨毯の場合、ノットの種類にペルシャ・ノットとトルコ・ノットの2通りありますが、厳密にはノット(結び目)という言葉は正しくないのです。図1に示した通り、いずれの場合にも、パイル用の糸は経糸に巻きついているだけで、決して結ばれてはいないからなのです。

図①

トルコ・ノット

セネ・ノット

ついでながら、ペルシャ・ノット、トルコ・ノットという用語にも議論があって、ある人達の意見によればペルシャ絨毯に用いられている手法がトルコ・ノットと呼ばれるのは変だというのです。それならば、トルコ・ノット、ペルシャ・ノットという名称に代えてギオルデス・ノット、セネ・ノットという呼び方もあるのですが、ギオルデスはトルコの、セネはペルシアの、地名であり、おまけにセネ(現在のサナンダジ)ではギオルデス・ノットを用いているのだから、こちらの方がもっと矛盾しているのです。

トルコ系住民、ペルシャ系住民

この問題に関しては、ペルシャにも相当数のトルコ系住民がいることを考えると、トルコ・ノットという名称がペルシャで用いられても、少しもおかしいことはありません。ただし、トルコ・ノットの使用は必ずしもトルコ系部族に限られているわけではなく、まだペルシャ・ノットで織るのはすべてペルシャ系住民というわけでもありません。

例えば、クルド族はペルシャ系の部族であるにもかかわらず、トルコ・ノットで織るし、トルコ系のカシュガイ族やトルコマンの絨毯はペルシャ・ノットです。これらのノットは、人種や部族によって異なるのではなくて、地域ごとの特徴となっており、トルコ・ノットは北西部と西部、ペルシャ・ノットは中部・南部・東部の絨毯に多くみられます。

図②
ニム・ルール・バフト

図③
タフト・バフト

さて一列のノットができあがると、次の一列に進む前に、経糸の間に緯糸を挿入します。緯糸は通常、一本は太く他の一本は細い2本の木綿糸です。緯糸の太さと引っ張り具合で、絨毯の構造が決まります。すなわち、太い糸をピンと張ることによって経糸は上下2相をなし、裏側からは、二本一組の経糸の一方にかかったパイル用の糸しか見えません。といっても、完全に2本の経糸が重なっていることは余りなくて、大抵の場合は、図②のようなニム・ルール・バフトです。

二本の緯糸を用いていても、その太さが同じ場合には図③のようにタフト・バフトと呼ばれる構造になります。これはトルコマンかアフガニスタンのものに多く、すべての経糸が同じ平面上にあるために、絨毯は薄く、強度や耐久性においては、総じてルール・バフト、ニム・ルール・バフトの方がタフト・バフトよりも勝れています。しかし絨毯の寿命は、構造のみでなく、経糸、緯糸、及びパイルの材質によっても決定されます。

ノット数の非常に多い精緻な文様の絨毯では、経糸にしばしば絹を用いますが、その場合でも緯糸は木綿です。以前は経糸、緯糸ともに羊毛を用いた遊牧民達も、今は木綿を使うことが多くなっています。木綿は湿度による糸の伸縮が少なく、形が歪むおそれも余りないので、羊毛よりも好まれているようです。

ノットの列を作っては緯糸を挿入する作業を繰り返し、数列ができると鋏でパイルの表面を刈り揃えます。産地によっては、1枚の絨毯が仕上がるまでトリミングを待つこともあります。こうして数ヶ月あるいは数年後に最後の一列が終わると、もう一度キリムの部分を織り、経糸を全部織機から切り離して、絨毯のできあがりです。

色と染料

幼児に、赤い三角と青い円を見せると、まず最初は形よりも色の違いに注目すると言います。絨毯の美しさを決定するのが、色彩と文様であることは言うまでもありませんが、ここでも第一印象を左右するのは色彩ではないでしょうか。

インディゴ・ブルーやコチニール・レッド

良質の化学染料が普及している今日では、絨毯の色のヴァラエティも随分とふえて、伝統的なインディゴ・ブルーやコチニール・レッドの他に、明るいパステル・カラーや微妙な色合いの中間色も豊富になってきました。

色彩は、染料や染色に用いる水ばかりではなく、糸の材質によっても変わります。同じ染料を使い、同一の染色工程を経たとしても、絹糸と羊毛では、異なった色調が生まれます。

ウールホワイト

絨毯では最も頻繁に使用されている赤と青のうち、青系統の色を思い通りに出すことの難しさは、染色に少しでも手を「染めた」ことのある人なら、よくわかるはずです。この点は、昔ながらの天然藍の代わりに人工藍を用いた場合でも同様で、全く同一の青を二度三度と作り出すのは、至難の技といわれます。絨毯の織子が、青を地色として織り始め、途中でその色の糸がなくなって新たに購入したとしたら、それ以降は青の色相が変わってしまうことを覚悟しなければなりません。

ナイン産

イスハファン産

青系統の色

ウール・ホワイトという色があります。いわゆる生成色で、本来の色が純白である羊は存在していません。漂白すれば毛の質が損なわれるので、通常は自然の色のままのウールに他の色を重ねます。

それでも羊の育成地によってウール・ホワイトの白さに差があり、もとの羊毛がベージュや黄色に近ければ、どんな染色をもってしても、アイス・ブルーやラベンダー色に染めることはできません。濃い色に染める場合は、もちろん問題はないのですが、淡いパステル・カラーの糸が欲しい場合には、白により近いニュージーランド産や南アフリカ産の羊毛が適しています。

また、羊毛に含まれる脂肪の量や質によっても、色の彩度・明度が異なってきます。この脂肪分はソーダなどで洗い落とすのですが、完全に脱脂すると、製糸の過程で糸のすべりが悪くなるので、紡績油をたらすことがあります。するとこの油もまた、発色効果を妨げる要因となるのです。

赤い色の染め

この青に比べると、赤い色の染めは、天然染料の茜やコチニールを使っても、はるかに容易です。イランでは、茜が自生する地域はいくつかあり、比較的簡単で手近な材料であることから、長く染料の用途に当てられてきました。

コチニールの方は、原産地は南米で、現在でもこの昆虫の生息地は、メキシコ、ペルー、カナリー島などに限られており、当然イランも輸入に頼っています。スペイン人のコルテスがコチニールをヨーロッパに持ち帰ったのは16世紀の前半ですから、イランでそれよりも前にできた織物にこの染料が使われているはずはないと言えます。

クム産

クム産

ラクという昆虫から採取する染料

しかし、イランの隣のインドでは、コチニールと同じカイガラムシ科に属するラクという昆虫から採取する染料が古くからあり、これが、ケルマン地方を通って、カシャンやさらに西方の町に運ばれました。このラクは、少量でかなりの量の糸を染められるコチニールに比べると、余り有効な染料ではないのですが、今も艶出しなどに利用されています。ラッカーという言葉はこのラクから派生したものです。また、イランで絨毯の輝くような赤をラキと呼ぶのも、その語源は同じです。

そのほかにペルシャで早くから用いられてきた天然染料としては、胡桃(茶)、柘榴(黄)、葡萄(黄)、イスペレク(黄)などがあります。黄色の染料植物が豊富ですが、ペルシャ絨毯では、トルコの絨毯に比べて、黄色は余り好まれません。しかし百年以上の古い作品で、現在はクリーム色やアイボリーに見える色も、出来上がった当初はかなり鮮やかな黄色だったのかもしれません。

ナイン産

草木染め

ひと昔前のアニリン染色の頃とは異なり、化学染料を用いることをためらう理由がなくなった今日でも、依然として草木染めが高く評価されている理由としては、それが自然の産物であるということのほかに、天然染料で染めた色は、長い時間のうちに美しい変化を見せるという点だと思われます。

確かに数百年を経た古い絨毯の色は、名人と呼ばれる染色家の技をもってしても出せるものではありません。詩人キーツは、ギリシアの古甕を「ゆるやかな時の歩みに育まれた子」と形容しました。自然界の草や木から生まれた色も、優しい「時」の手で育まれていくのです。

イスファハン産

クム産

化学染料

だが、この時の歩みは、化学染料で染めた色をも養い育ててくれるのでしょうか、それとも見捨てるのでしょうか。その答えを得るには、百年、二百年の歳月が必要です。われわれが化学染料を自在にこなせるようになったのはほんの最近のことで、そこから生まれた色が時間の経過とともにどんな変化を見せるのか、また誰も見届けた者はいません。

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