ペルシャ絨毯は、この地球で、唯一踏むことを許された芸術品。 *
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ペルシャ絨毯の文様・デザイン


 

ギリシアとの関係やビサンチン芸術の吸収

  イスラムの装飾の特徴は、様式性と反復にあると言われ、それは絨毯の上にも反映されています。しかしペルシャ絨毯の特徴をイスラム圏の美術工芸の一部としてのみとらえ、その背後に横たわる悠大な民族交流の歴史に注意が払われないとすれば、それは絨毯の重要な側面を見落すことに他なりません。  既にアケメネス朝ペルシアの創設以前に、エジプト、アッシリアなど古代オリエントの文明はイラン高原の民にも及んでおり、その後のギリシアとの関係やビザンチン芸術の吸収によって、ペルシア中世のイスラム美術は完成の極に達していました。その基盤の上にペルシャ絨毯の繁栄が築かれたことは言うまでもありません。同時に中央アジアの民の移動による影響や、日常レベルでの遊牧民と定住民との接触も見逃すことはできません。初期の頃に顕者に見られた中国美術への傾斜は、近代になると欧米人好みの意匠の導入にとって代わられました。

 

直線的幾何学文様と曲線的植物文様

  こうした多種多様な要素が渾然一体となって、現在のペルシャ絨毯の文様を形成しています。それらの識別方法にはいくつかありますが、通常はまず直線的幾何学文様と曲線的植物文様に分類されます。けれども、ほとんどのモチーフの場合、直線風にも曲線風にも描くことができるのです。直線で表現した単純素朴な樹木もあれば、小枝の1つ1つまで写実的に描いた曲線的な樹木もあります。この相違は、主としてノット数の差によるもので、織目の細かくないものは、どう頑張ってもスウェーデン刺繍のように直線的な輪郭になります。  ここでは、数ある文様を以下のように5つに分類してみました。


 

幾何学的文様

  三角形、四角形、円などから成る文様。自然界に手本や原型を持たないもの。その典型ともいえるのが、メダリオンとギュル。  メダリオンは「絨毯の中央に置かれた円形文様」とでも定義されます。必ずしも真円ではなく、楕円形や菱形に近いものなど産地に違った特徴があります。多くの場合、メダリオンの上下には、カルトゥーシュやペンダントと呼ばれる付属的な装飾が配置されています。
 

田舎のトランジ

  イラン人の間では、農村や遊牧民の絨毯によく見かける菱形文様も、等しく「トランジ」(メダリオンを意味するペルシア語)と呼ばれています。これらのトランジは、都市の瀟洒な作品に織り込まれた一個の曲線的なトランジとは起源を異にします。部族の絨毯に用いられる菱形や多角形のモチーフは、ギュルと同様フォーク・アートの範疇に属し、その由来に関しては民族学的な研究が必要です。  これに対して定義通りのメダリオンは、装飾美術の他の分類、ことに写本の装丁にヒントを得たものとされますが、このことは15世紀の写本の表紙と16世紀以降の絨毯の構図との著しい類似によって立証されます。
 

都会のメダリオン

  メダリオンは極度に抽象化された文様であることから、サファヴィー朝初期からモスク用の絨毯に好んで用いられました。その代表的な例が、サファヴィー神秘教団を設立したシェイフ・サフィ・エッディンを祀るアルデビルのモスクのために製作された絨毯の中のメダリオンで、これは花弁のような16枚のオジーブを特徴とし、シェイフ・サフィ・エッディン・メダリオンの名で知られています。  ギュルの方は、専ら北方のトルコ系民族、特にトルコマンによって用いられてきた紋章風の図柄で、他の遊牧民のトランジと異なり、絨毯の一面に繰り返し反復されています。
 

六角星や鉤形文様

  その他、六角星や鉤形文様なども幾何学文様の中に数えられます。直線や曲線から成るこの種の装飾が、互いに何の交流もない複数の地域で自然発生的に生まれることは、今日では一般に認められています。従ってペルシアやアナトリアの絨毯に見られるのとそっくりのモチーフが、プレ・インカや南太平洋の島々の織物に用いられていても、何ら不思議はありません。
 

様式化された文様

  自然界に実在する事物に手本を求めるけれど、高度に様式化され抽象化されて、もとの手本とはかけ離れてしまった文様。
 

パルメット

  パルメットの起源は蓮の花の側面形といわれ、古代エジプトやペルシアのスーサ出土の遺物にパルメットの原形らしき装飾が用いられています。これがギリシアで発展し、アレキサンダー大王の遠征を契機として東方に広がったのち、ガンダーラ地方に見られるように、仏教美術の装飾として浸透していきました。そしてバクトリアなど中央アジアの国々から、仏教の伝播と共に中国にもたらされたといわれています。  したがってペルシアには、古代エジプトやアッシリア王国との接触を通じてこのパルメットが伝えられたのち、中近東から中央アジアにかけて存在したギリシアの植民地経由で、再びパルメット文様を取り入れる機会があったわけです。さらに、古代ギリシアの流れをくむ東ローマ帝国とササン朝ペルシアとの関係も、見逃すことはできません。


 
 

牡丹唐草

  しかしパルメットがイスラム美術に普く用いられるようになったのは、13世紀の蒙古軍の侵略のあとで、その後16世紀までに植物文様の代表的な要素として確立されました。それゆえに、ペルシャ絨毯のパルメット文様には、むしろ中国美術の影響の方が強いともいえます。この文様は、中国では牡丹唐草として唐代頃から人気を博しました。西方から伝わった唐草文様に牡丹の花が採用されたのはJ・ローソン女史によれば、この花をことのほか愛した唐の則天武后の時代であったようです。
 

菊の紋に似たロゼット

  蓮の花の側面形であるパルメットに対し、ロゼットの方は、その正面形と考えられてきました。そのため菊の紋に似たロゼットもまたエジプト新王国(BC1550〜BC1000)で生まれた文様であるとの説が唱えられてきたが、近年イラクで発見された紀元前3500年頃の彩色土器にロゼット文様が認められることからエジプト起源説には疑問が投げかけられています。
 

アラベスクとイスリム

  植物の半葉形をした文様に、なぜアラベスク(アラビア文様)という名が付けられたのかは明らかではありませんが、サラセン文化の真の担い手であったペルシア人よりは、そのスポンサーともいうべきアラビア人に敬意を表したものでしょうか。
 

アカントスの葉

  オーストリアの美術史家アロイス・リーグルは、このモチーフについて、オリエントで生まれた幾何学的・図式的な植物文様が、ギリシアの地でアカントスの葉に見るような写実的装飾に発展したのち、イスラム圏で再び抽象化のプロセスを経た結果と考えています。
 

螺旋渦巻文様

  ペルシャ絨毯や建築の装飾においては、このアラベスクはイスリムと呼ばれる螺旋渦巻文様の終止符として不可欠な存在です。絨毯の、通常は完璧なシンメトリーの構成の中で、これまたシンメトリックなパルメット・ロゼット文様や単調なリズムの波状文がもたらす平衡と静止の領域にアラベスクとイスリムが侵入してくると、静けさはたちまち破られて、絨毯という限られた平面に、しなやかな生命の躍動が生まれてきます。複雑に絡みあった螺旋はまた、ある詩人が述べているように、「迷宮」を思わせ、見る者を幻想の世界へと誘います。
 

雲のリボンと雲板文

  この2つは明らかに中国で生まれた文様。その名称にもかかわらず、空に浮かぶ雲から生じたものではないらしいのです。雲をかたどった雲文と呼ばれる文様は、日本を含む東アジアの人々にとっては親しいもので、ペルシャ絨毯でも風景や人物を扱った絵画風の作品にはそれが取り入れられています。
 

仏像や天女の絵につききものの肩布

  しかし雲のリボンの文様は、むしろ仏像や天女の絵につきものの肩布(ひれ)に近いようです。中国の画風の強い影響を受けた15世紀初めのペルシア絵画にも、この肩布(ひれ)を纏った婦人が描かれており、その布の形が、絨毯の雲のリボンもそっくりである点からも、この文様の起源は容易に推察されましょう。肩布(ひれ)は空中を翔ける天人の象徴でもあるので、「雲のリボン」という名称もあながち的はずれとはいえません。
 

雲板文

  日本では家紋としても使用される雲板文は、打板文ともいいますが雲の衿と呼ばれる中国の文様から派生したものと言われています。「雲の衿」(クラウド・カラー)なる名称は、中国で貴人の服の首まわりの装飾として用いられたことに由来します。その起源は非常に古く、漢の時代まで遡ります。一説には、これが蒙古人やその近隣の遊牧民のテントの装飾として採用され、のちにペルシアやアナトリアにまで流布したといわれます。しかし元代や明朝の花瓶にも同じ文様が用いられていることから、ペルシア文様に見る雲板文もしくは雲の衿は、中国の美術工芸品の意匠から直接示唆を得たものと考えてよいでしょう。メダリオンやペンダントの装飾として用いられているにもかかわらず、ペルシアの絨毯ではこの文様にほとんど注意が払われないのは、日本の雲板文や中国・アナトリアの雲の衿に比べて、余りにも精巧な装飾に様変わりしてしまったせいかもしれません。


 

具象的文様

  動物や人物の具象的表現。タブーであるはずのイスラム国で、16世紀以来今日まで、狩猟文様や花鳥文様の絨毯が製作されてきた事実に関しては、シーア派が圧倒的多数を占めるイランでは、正統派をもって認ずるスンニー派の国々に比べてコーランの解釈に柔軟性があり、よって芸術への姿勢も寛容であるという風に説明されてきました。実際には、人間の手で自然界や人間を創造するという神にも似た行為を禁ずる箇所は、コーランにはなく、これは予言者ムハンマドの言行についての伝承であるハディースの中に記された禁己です。美術工芸の分野におけるペルシア人とトルコ人やアラブ人との相違は、シーア対スンニーという単純な図式で説明のつくようなものではありません。そこには、風土や歴史に根ざした感性と世界観の根本的な隔たりがあるように思われます。
 

細密画の感化

  ペルシャ絨毯の写実的なデザインには、狩猟文様、動物文様、樹木文様などああります。また花瓶文様や庭園文様もこの範疇と考えてよいでしょう。いずれの場合も、14世紀から、15世紀にかけて全盛期を迎えた細密画の感化を受けて発達したもので、遠近法を用いずに二次元の世界で描かれています。


パルティアの兵士

狩猟文様には、鹿や兎などの動物と共に、当然ながら馬上の人物が登場します。それらの射手の中では、上半身を捩って後ろ向きに矢を射るパルティアン・ショットというのは、かつて紀元前2世紀頃から約350年にわたってペルシアを支配したパルティアの兵士が、退却する際に振り向いて最後の一矢を放ったことから生じた名称で、捨てぜりふの意味もあります。

聖獣

絨毯が比較的小さい場合には、動物文様は、樹木や灌木を背景にして実在の動物を記した構図が多いようです。スケールの大きな絨毯になると、獅子・豹など力の象徴である猛獣や、龍、鷲獅子、麒麟などの聖獣が、フィールド一面にところせましと躍動する華麗な意匠が好まれます。 絵画に対しては比較的寛容であったペルシアでも、宗教的な建物や神聖な儀式の場で動物文様の敷物が使われることはありませんでした。小鳥は、様式的な植物文様は樹木文様と共に、モスクでも多めに見られることがあったようです。これはシバの女王のもとからソロモン王の宮殿につかわされたというコーランにも登場する神秘的なフップ鳥に免じてでしょうか。愛らしい小鳥は、花や樹と並んで、楽園のイメージにか欠かすことができません。


 

楽園の具現が庭

  ペルシア人にとって、この楽園の具現が庭であったのです。ある国の庭園様式は、人々の自然観を端的に示してくれます。自然の恵みという言葉が空虚に響くほどの強烈な太陽光線と単色の大地の世界にあって、この国の人々がどれほど緑の草木と澄んだ水とに憧れたかは、想像にかたくありません。 現実のペルシアの庭は、自然の法則に従った日本庭園の繊細な美しさに親しんだ目には、なんとも単純で大まかです。要するに樹木が植えられ水が流れていればそれでよく、そこに水鳥や魚でも泳いでいればもう最高、といわんばかりの佇まいです。だからこそ、不世出の画家と讃えられたビフサドも、鳥瞰図の方式で庭園を表現することを思いついたのでしょう。岩あり滝あり築山ありの凝った日本庭園では、とてもこうはいきません。
 

庭園文様

  チャハル・バグ(4つの庭)と呼ばれたこのタイプの庭園模様は、16世紀から18世紀にかけて製作された絨毯に見られますが、現在では特別注文でもしない限り、ほとんど採用されることのない図柄。18世紀以降は庭園を区切る水路が次第にふえて、碁盤の目のようになってきました。それをもとに生まれたのが、ヘシュティ(日干し煉瓦)またはバクチアリ・デザインの名で知られるパネル文様なのです。



パターン

総文様として一面に繰り返し用いられるモチーフのことで、ペルシャ絨毯ではボテ、ヘラティ、ミナ・ハニなどがそれに相当します。

ボテ

おびただしい数の文様の中でも、ボテほどその起源の不明なものは稀。その原型は糸杉であるとか聖火の炎だとか、いや木の葉だ小鳥だと諸説ありますが、いずれも推察の域を出ません。原生動物のごとくに単純でありながらすぐ変形し、誰でも思いつきそうでいて個性豊かなこの文様は、非常に古い起源を持つといわれていますが、脚光を浴びるようになったのは近代以降のことです。

ペイズリー

ボテの別名ペイズリーがスコットランドの毛織物産業の街に由来することは、今ではよく知られています。ペイズリーの街がまねたのはカシミールやペルシアのケルマンのショールに織り込まれたボテでしたが、この文様がペルシャ絨毯に広く用いられるようになったのも、ショールのヒットに自信を得たためです。だから18世紀までの古典的作品の中では、この文様にはお目にかかれません。 一般に総文様の絨毯はスタティックで単調な印象になりがちですが、ボテの場合、特に方眼紙の図案に頼ることなく頭の中に描かれた文様に従って織られた遊牧民の絨毯では、生き生きとした魅力を持っています。

アフガニスタン第二の都市ヘラート

ヘラティの方は、同じパターンでもボテとはいささか性質の違った幾何学的・様式的文様。だがこれにもまたいくつかのヴァリエーションがあり、文様を構成している菱形、葉、花のうちのどの部分を強調するかによって、まったく異なった雰囲気が生まれます。菱形のまわりの葉の形が魚を連想させるために、イランではヘラティ文様はマヒ(ペルシア語で魚の意)ヘラティという名称が、現在アフガニスタン第二の都市ヘラートに因んだものであるとしても、この文様がヘラートで考え出されたという説は、必ずしも全面的に受け入れられているわけではありません。発祥地としては、ヘラートを含むかつてのホラサン、ケルマン、フェラハンなどのほか、ペルシア以外の地域の名も候補にあがっています。



 

その他

  このカテゴリーには、いずれの種類にも属さない文様全てが含まれる事になるのですが、主要なものとしては、庭園文様に関連して触れたパネル・デザイン、それに類似したコパートメント・デザイン-ペルシア語でバンディという-とジョーシャガン文様、及びミフラブ文様などがあります。

 

コンパートメント・デザイン

  しかし枠組みを成している正方形や円文に連続性があり、また枠の中の装飾は一種類ではない点が、ヘラティやボテの文様とは異なっています。花や鳥を梅文に似た四弁花飾りや干編み文で囲んだコンパートメント・デザインは、完全な曲線を織る技術を要します。ジョーシャガン・デザインの場合は直線文様と曲線文様の中間といってよいでしょう。

 

アーチ型の門

  ミフラブというのは、モスクの中の礼拝堂の奥にある壁がんで、メッカの方向を示しています。本物の祈祷用絨毯(プレイヤー・ラグ)においては、アーチ型のミフラブに加えて、せいぜい数本の柱とモスク用のランプが描かれているだけです。しかし、ミフラブの形は優美で神秘的な雰囲気を漂わせているうえに、樹木や花瓶のような一方柄のフレームとして非常に効果的なので、通常の絨毯にもしばしば用いられます。 イスラムの世界では、ミフラブは天国への入り口でもあると考えられていますが、古代オリエントの人々もアーチ型の門にある種の象徴性を持たせていました。バビロンという都の名が神の門を意味していたことは、周知の通りです。 ペルシャ絨毯のミフラブの輪郭は、必ずしも単純な弓形ではなく、鋭角的な物や小瓶のような形のものなど様々です。

 
 
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